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ケーブルテレビ

先週、火曜日(2019.10.8)夕方、
私は、父の様子を見ておかしいと思った。
車いすから便座への移乗がヘタクソになっていたのだ。

次の日、水曜日(2019.10.9)朝、
ベットで横たわっている父に「おはよう」と、私は声を掛けた。
やはり、おかしいと思った。
ベットから車いすへの移乗がヘタクソだったのだ。

ああ、いよいよかな?ぼちぼち来たかな?
私は父の死を意識した。

さて、今日が最後になるかもな・・・と、思いながら
馴染の喫茶店に連れて行ってやった。
いつもの席まで車いすを押していき、煙草に火をつけてやった。
帰り道は、ふわ~と、頭が後ろに倒れてきたので、
「いい人生だったね」と、声を掛けてやった。

家に戻って、父をベットに横たわらせた。
父の孫たちが異変に気づき、彼のベットを覗きに来た。
一人は「有給消化で、今日は休み」と、
もう一人は「今日のバイトは午後から」と。

「ほら、孫たちが居るよ。優しい孫たちだね。よかったね」と、
私は父に言ってやった。

なんだ、かんだで、
その優しい孫たちに付き添われて、父は病院へ行くこととなった。
彼は、孫たちのおかげで、またもや一命を取り留めた。

今回は右脳梗塞だった。
父は入院し、5日間の点滴治療が開始された。

そして今日(2019.10.15)、点滴の針を抜いて退院の許可が出た。
私は、一刻も早い退院を切望し、さっさと父を連れ帰ってきた。

急いでいたのは、父について次の三つのことを私が思ったからだ。
一つは、父が、父のテレビを恋しがっているだろう。
二つ目は、行き慣れたトイレでウンチをしたいだろう。
三つ目は、もう一度、煙草に火を点けてもらいたいだろう。

父は自宅に到着すると野球速報に釘付けだ。
退院の日1

そして、わずかに動く左手でチャンネル操作を兼ねたリハビリ。
退院の日2

二度の左脳梗塞に引き続き、右脳梗塞。
「全快の退院」とも言えない。
爆弾を抱えている感じ。

でも、まあ、父はもともと爆弾だ。
これまでの生き方の成り行き。
こんな感じで過ぎていく。

たまえさんに告ぐ

たまえさん、私の愚痴を聞きに一度こっちに来なさいよ。

あなたにとって最初の内孫にあたる子は30歳を越えました。
ずいぶん大きくなるまで夜泣きを繰り返した、あの女の子。
あなたは「カンノムシ」と言って、嫌な顔をしてましたね。
私はあの子を大事に育ててきました。
私と同じ苦労はさせまいと思って、あなたを反面教師にしていました。
あの子、何もわかっちゃいないのに、偉そうな口をたたくようになって・・・

(あっ、)
あの子のことで愚痴をこぼしたら、
「オマエの育て方が悪い」と、私はあなたに蹴落とされそうですね。
おそらく、私が傷つくのが関の山。
あの子の話をするのは、やめておきましょう。


あなたの夫は、一昨年の冬に二度目の脳梗塞を患いました。
後遺症が残り、右半身が不随です。
車椅子に座って1日中テレビを見て過ごしています。
週に4日デイサービスに通い、お風呂に入れてもらってます。
着替えを毎日しているので、今はもう臭くないです。

あなたが居て、あの人も自由に動けた頃が一番大変だったかもしれません。
あなたは「手を洗え」とか「袖で口を拭くな」とか、いつも怒っていました。

今はもう、あの人、自分で手を洗うことができなくなりました。
利き手が動かなくなったから、自分では何もできません。
食べものをこぼしても、私が見張っていて素早く拭きます。
あの人は、静かなイイ老人です。
冷蔵庫を悪さすることもなくなりました。
トイレのどこをどう汚したのかも、すぐに分かります。
私が、ずっと付き添っていますから。

思い出しました。
あなたは「あの人を置いて、逝ってもいいか」と、私に尋ねました。
そのとき私は言いました、「いいよ」と。

あなた、残念でしたね。
介護保険制度が始まる前でした。
私は幼子を育てながら婿にも気を使い、あなたとあの人を看るのは大変でした。
あのとき私は、早く終わってほしいと願っていました。
けっきょく、あなたはイイ人になれないまま逝ってくれました。


私は幼かった頃からずっと、あなたの愚痴を聞いてきました。
あなたがぶつけてくる喜怒哀楽は、私を制止させました。
あなたの呪縛によって選んだ人生を私は生きてきました。

なぜだか今日は、あなたに私の愚痴も聞いてもらいたいと、ふと思いました。
雪だるま式に増えた荷物も、あとは解けて減っていくことでしょう。
そんなふうに思えるゆとりができ、優しい気持ちになったからでしょうか。
57歳になった私の愚痴を、あなたなら理解できるのではないかと、
そんな気がします。

あぁ、でも、やっぱり来なくていいです。
眉間にしわをよせた怒りオバケ、現れなくて結構です。

私は愚痴をこぼさず、うまくやれるようになってきたと思います。


あなたから受け継いだもの、私で堰き止めることができているのでしょうか。

私の人生、悪くないです。
おもしろいと思います。
イケてるほうだと思います。

おそらく、あなたには、ちゃんと言ってなかったような気がします
「おかあさん,おつかれさまでした.ありがとう.」。

私の読書しゅうかん

フェイスブックのアカウントを削除した。
読むものを減らす行為は、ただそれだけ。

あれから私は本を読むようになった。

読むのは「父が家に居るとき」と決めている。
そうやって、物語の世界に迷い込むのは
介護をするときの「たのしみ」にとっておくのだ。

いまでは、介護が「たのしみ」なのか?読書が「たのしみ」なのか?
見当がつかないまでに、現実から意識が遠のいている。
それが、あんがい心地よい。

と、いうわけで、ここ2カ月
私にしては、すっげえ読んだので、
記録しておくことにする。
貸してもらった本には☆をつけよう。

『つみびと』 山田 詠美
『むらさきのスカートの女』☆ 今村夏子
『父と私の桜尾通り商店街』 今村 夏子
『こちらあみ子』 今村 夏子
『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』☆ 大島 真寿美
『平場の月』☆ 朝倉かすみ
『ひとり日和』☆ 青山 七恵
『ぞぞのむこ』 井上宮
『世にも奇妙な君物語』 朝井 リョウ
『星に願いを、そして手を。』☆ 青羽 悠
『人間失格』 太宰治
『あとは切手を、一枚貼るだけ』 小川 洋子、 堀江 敏幸

ワンピース

わーい、わい。
待ってました!
ワンピース到着♪
ワンピース
これで図書館に行ける!

あぁ、でも今日は土曜日、父が在宅なので行けない。
明日も父のデイサービスはお休みだから行けない。
まっ、いっか。いつかは行ける。


― 3日前のこと ―

春も、夏も、秋も、冬も、
昨年も、一昨年も、
ずーっと、私の服装はパンツスタイル。

介護するにも、自転車に乗って買い物に行くにも、
パンツスタイルは申し分なく動きやすい。
「レギンス+チュニック」は、とても私らしくて似合ってる。
と、思っていた。

だけど、ちょっと飽きてきたと言うか・・・
介護中心の生活、介護中心の服装に馴染みすぎて・・・

ちょっと、ワンピースなんか着てみたいな~
と、ふと思った。

ワンピースを着て、涼しげな顔をして図書館へ行きたくなった。

パソコン開いて通販サイトで涼しそうなワンピースを注文した。

静かな水曜日

高校生だったときのこと、
家族に振り回されてた私に、キリスト教徒の友達が
「神は乗り越えられない試練を与えないから大丈夫」
と、励ましてくれた。
大人になった私は、
「乗り越えるとか、乗り越えないとか…
そんなんじゃなくても、過ぎていくわ~」
と、じーっとしております。
若いときほど頑張れないので、省エネ行動ってヤツか。( ̄▽ ̄;)
いや、若いときからナマケモノだった気もする。┐('~`;)┌

父のデイサービスがお休みの今日、
私は、どこにも出掛けず父と一緒に介護部屋で過ごす。
スーパーに買い物に行くこともできないので、
自分は持たせてやった弁当の残りを食べて、
購入してある非常食を使って家族の夕食ササッと作成。

KIMG0853.jpg
父は、ケーブルテレビでプロ野球の再放送を観戦。

私の時間は、なにもしなくても過ぎていく。
食事中、排便の介助を強いられて
私は「早く人間になりたーい」と、心のなかで叫ぶ。
いつかまた人間らしい生活ができる日が来るだろうと思ってる。

こんな日々を過ごす自分は、「自由」なのか「不自由」なのかと考えると、
あんがい「自由」か~?と、イイ感じに感覚もマヒしてきた。
おそらく、父が失語症でしゃべらなくなり、右半身不随で動かなくなったということで、
以前に比べてラクになったから、私もノンキにしていられるんだと思う。

身内の老人に対する傾聴に比べたら、
静かな父だから、とても助かる。

おとうさん、このまま長生きしてください。
私は、しばらく「介護」を理由に
モラトリアムな日々を過ごしますから。

在宅介護もうすぐ2年

2017年2月に脳梗塞で入院した父が退院したのが同年6月6日。
「退院後は施設」という選択もあったなか「まずは在宅でやってみる」と決めて、ケアプランを立ててもらった。
自宅に介護部屋を用意し、デイサービスを使い始め、あれから2年。

ここまでの2年は無難に過ぎたと思う。
逆に、「要介護3」の認定によって、福祉の助けを得られ、精神的・身体的な苦悩は軽減されたと言える。

「介護」について一般に言われる「終わりが見えない」「やり甲斐がない」というのは、確かにそうだと思う。
「高齢者の介護」は、頑張ったところで、本人が回復に向かうことはない。
そして、本人からの感謝は期待できない。
本人は、自分のことで精一杯であろうし、自分自身を把握できてないから仕方ない。
(彼は、もともとそ~ゆ~ヒトだったから、今更でもない)

救いは「何事も永遠ではない」ということだ。
たとえば私が倒れたとしても終わる。
だから、どのような形で終えるかは分からないが、いつかは終わるから心配いらない。

「いまをどう過ごすか?」
焦点はそこ。

車イスに座っている間は見守りが必要だから、出掛けられない。
トイレに行けばケツを拭いてやらないかん。
予告なしに、くしゃみのシャワーを浴びせられる。
夜間のオムツ…

この状況に合わせて無理をせず、この状況だからこそできることは何?
(負けず嫌いな私は、そのような思考回路になっている)

私は、ようやく社会で試せるトコロまで来てたかもしれないけれど、
「どうせ、年をとったら出来なくなるから、ま~いっか~」と、あきらめる。
高齢になって思うように動けなくなったときの対処を練習していると思って、やり過ごすことにする。 

人間て、うまくできている。
「できない」が2年も続くと「やりたくない」に変わるんだ。
「出掛けることができない」「責任あることは引き受けられない」のはずだったのが、
今は「出掛けたくない」「引き受けたくない」というのが本音である。
そんな具合で、結局のところ「なにもやりたくない」。

あんがい私は「あきらめ上手」な「生き上手」か?
それとも、介護疲れの危険信号か?

どちらにしても問題は、「できる時期」が来るまでに、気力・体力(パワー)をどう養っておくか?ということ。

さて、無理なことを早々と悟って諦めた私のようなヒトに「学習性無力感」は表れるのだろうか?
興味深い課題である。

冷たい雨の日曜日

デイサービスが休みの日、父を「まつば」に連れて行く。
雨が降っても、風が吹いても、たとえ雪が舞っていても、
午前と午後の2回、欠かさず必ず連れて行くことになっている。

まあ、仕方ない。
それは私が提案したお約束だからね。

どんなお約束かというと…
入院中、リハビリをやる気にならない父に楽しい目的を示すため、
「車いすに座っていられるようになったら『まつば』に行こうね」
と、私は思わず言ってしまったのだ。
だから、「まつば」のママにもその件を伝え、車いすでも入店可能にして頂き
約束通りに、退院後すぐ連れて行ったのだった。

しかし、父は1度「まつば」に行けたら、それだけで良くて、
面倒なことは「もう結構」という感じであった。

いや、いや。この人にとって
何のために退院し、何のための在宅介護なのか?
そして何が楽しみで生きているの?
そこで、「タバコは『まつば』で吸うことにしようね」
と、私は思わず言ってしまったのだ。

最初の頃はモーニングの時間帯に行くだけだったが、
父は、ずいぶん元気になり、
ある日、中日ドラゴンズが不調のデイゲーム
「タバコを吸いたい」と言い出した。
「タバコは『まつば』で」と答えた私に
「じゃあ、『まつば』行こ」と、父。
その日以降、午前と午後の2回行くのが「お決まり」になったのだ。

今日の午後は雨だったからこんな感じ。
レインコート

車いすを押す私もレインコート。
私が言い出したことだから仕方ない。
あーだ、こーだと考えず、心を「無」にして行う業である。

冬の雨は冷たい。
小走りで車いすを押す。

ん?
この感じ・・・
この空気・・・
あの日と同じだ。

あぁ、あの日もこんな感じだった。
それは、9年前の2月。 
あぁ、思わず楽しい気分。

うん、うん。
行ってよかったな。東京マラソン。

わたし、走れたんだよな。

まだ、まだ、わたし、がんばれそうだ。

KIMG0694.jpg

「いってきます」

いってらっしゃい
出勤する孫に手を振る図

「せっかくだから、施設に入所していないからこそできることって何かないか?」
と、考えて思いついたことの一つ。

出勤する息子の出待ちをし、
父の車いすを窓際に移動させて、一緒に見送ることを日課にしてみた。
「いってらっしゃい」と、私が声を掛け、
父は、だまって会釈をしていた。
父にとっても、息子にとっても、私はとても良いことをしているような気になっていた。

そこで先日、
「この毎日の行いをもう少し充実させることはできないだろうか?」と、考えて
「お父さん、左手は上がるよね。ちょっと上げてみようか」という提案してみた。

今日の父は、「おはようございます」の発語もあり、
笑顔で手を振った。

これまで家族でワイワイしたことがなかった。
孫の学芸会に興味もなかった。
孫がサッカーの試合で活躍する姿に感動するともなかった。
そういうふうにしてきた父を含めて、
「私はようやく温かい家庭を築くことができた」と言えるのだろうか。

家族とのふれあいの中で、父の笑顔を見ることができるまでに、
半世紀以上の時間が掛かった。

よかった、よかった。
これでよかったに違いない。

居眠り

居眠り
気持ちよさそうに眠っております。
とても静かで手のかからない老人になりました。
とっても「おりこうちゃんです」。

・・・・っつうか、今までが大変だったんだってばさ。
平和になった今日この頃だっ。
ようやくここまで来たわ。

その人、そのひと。
その家、そのいえ。
様々なんです。

介護があって、自分の時間が持てなくなっても、
父に対するストレスが無くなったことは、ほんと助かった。
「車いすになるまで大きなストレスがあったから、今は楽」
というのは、一般に理解してもらうのは難しいだろうが、
けなされたり、怒鳴られたりがなくなった。
冷蔵庫の中が荒らされなくなった。
予想外の食べ物の散らかりもトイレの汚れもなくなった。
早朝に大音量でテレビをつけることもなくなった、
朝起きてきたら、床に大量のミルクが流れているようなこともない。
タバコも監視の下で吸ってくれるので、ボヤの心配もない。
例を挙げれたらきりがない。

今は、この人を見てると「かわいそうだなあ」と、思うんです。
トイレに行きたくなっても、さっさと自分で用を足すこともできない。
「かゆいところに手が届く」ような素晴らしい介護をしてあげたとしても、
やっぱりさあ。かゆいところは自分でかきたいよね。
だから、精一杯、一生懸命に介護したとしても、
「自分でやりたい」という欲求は満たされないよね。

「自分でやりたい」を満たすには自分でやるしかないから、
私にはどうすることもできない。
逆に「自分でやりたい」を自分で満たすことができたなら、
介護は不要だ。
結局、「介護に満足を求めても不可能」ってことだわ。
だから「かわいそうだなあ」。

年をとっていくと、自分で思い通りにできなくなっていく。
それを上手く処理できると楽なのね。
父がいいお手本を示してる。

上手く処理できず、ウップンを周りに当たり散らす人・・・
病院でそんな人を見かけたりするし、
亡くなった母もそうだったわ。

父と母の違いって?
あきらめが「早い」とか「遅い」とか?
もともと自分で「何もしたくない」とか「できるだけしたい」とか?
そういう問題?

ひょとして、介護をしている私の対応が違うからだったりする?
私もずいぶん成長したからなあ。

まあ、その人らしくやってちょうだい。

なにはともあれ、私のような娘が居て良かったねえ。

ところで、ウップンて「鬱憤」と書くんですね。
「鬱」って字、むつかしいなあ。

卒業しました。

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今年(2018)の3月に、おかげさまで大学院を卒業しました。

あれ?そ~いえば、
私の大事なライフイベントをアップしてないがね。
と、ふと思ったので取りあえず今。

大学院に入学したのは2015年4月のことでした。
どうしてそんな運びになったのかを説明すると
なが~~~~い話になりますが・・・
かいつまんで、ここに書いておきます。

息子が休学してカナダに行って、カナダから帰ってきたとき、
「やっぱり大学は卒業しておく」と、大学復帰宣言(2012年5月)。
そこで、私は「そうだね。大学いいよね」などと言った気がする。
そして息子が「お母さんみたいな人も大学に来てるよ」と・・・

そこで私、息子が通う大学で1科目だけ受講するつもりで、
問い合わせたのがきっかけだった。

そこから思いもよらぬアカデミックな世界をのぞき見する羽目に・・・

「まあこれも、ご縁だから」と、流れに身を任せ
片道2時間かけて大学のゼミに参加。
その一方で放送大学3年生に編入(2012年9月)、
そして2015年の3月に放送大学を卒業。
放送大学を卒業したその年の4月から、
息子が通う国公立大学の大学院生になったのである。
プロフィール

うぃんく

Author:うぃんく
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