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寄せ植え(2)



咲いた‼
まずは、一輪。
咲きました。
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寄せ植え


ひさしぶりの土いじり。

介護の合間に花の苗を植える。


どんな感じになるのかな?
たのしみ、たのしみ、おたのしみ。

在宅介護開始の前日

明日、父が退院してくる。
のんびりできる最後の日
何をして有意義にすごそうか・・・

アウトレット?
小旅行?
ウィンドショッピング?
カフェでのんびり?

いろいろ考えてワクワク。

入院中に、もっと遊んでおけば良かったかな。
毎日、病院に通ってたもんなあ。
まあ、それで、じゅうぶん充実した日々だった気もするけど~

結局、今日は、
介護用品のショールームを目指して、のんびり一人ドライブ。

帰りに、花屋さんに立ち寄って、花の苗を購入。

で、病院に寄って、リハビリを見学。
お世話になったリハビリの先生方や介護員さんにご挨拶。

夜は、いつものコンビニ。

今日も、充実した一日でした。(^^)

レンタルの福祉用具が到着

車いす用電動昇降機、
けっこうデカイ。
福祉用具1

車いすに乗ったまま、室内へ。
すごいなあ。
便利だわ。
やっぱり、ちょっとデカイけど。
福祉用具1-2
上げ下げ時に、猫をつぶさないよう、気をつけよう。

介護用ベッド。
こちらは、ノーマル。
福祉用具2

このようにして、在宅介護の準備は着々と進んでます。

ソーシャルワーカーさん、ケアマネさん、デイサービスやショートステイの介護職員さん、
レンタルサポートさん、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さん、
いい人に恵まれました。
チームで介護を支えて下さっています。
みなさん、ほんと、心配してくださり、助けてくれます。
ありがたいです。

退院後は、チームに訪問医療のスペシャリストのドクターも加わって下さることになってます。

ここまで来ました。

ようやく、「ここ」にたどり着きました。

息子、初出勤


今日から新しいステージ。

行ってらっしゃ~い。

介護認定に合格


2017年2月2日、ようするに、2か月前、父が入院しました。
1月末に、歩き方が極端に衰えたのに気付き、
2月に入り、右手の動きが鈍いことに気付きました。

ん~~~、2月2日の朝、ちょっと考えた。
たとえば、一緒に住んでいなければ・・・
一緒に住んでいたとしても、忙しさにかまけて見逃していたら・・・
たぶん、このまま・・・

とりあえず、父に聞いてみた「医者に行こうか?」
父は、「来週、行くからいい」と。

父が納得なら、それもいいかも知れない。
妻を亡くしてから20年、生きてきたわけだし。
脳こうそくを1度患ってからも15年間、過ごしてきたわけだし。
家族と暮らしながら、好き勝手し放題の人生だったわけだし。
だいたいからして、私も、もう十分やったしな~。
もう、いいよね~~~。
と、そんな気分にもなっていた。

そう。父も私も気付いていたんですよね。
医者に行っても、長引くだけだってこと。
そして、元通りになって帰ってこれる可能性はないってこと。
ましてや、若いころのように戻れるはずもないってこと。

でも、けっきょくは、「世間体」というか、「一般的に」というか・・・
「今日は病院へは行かない」と、言い張る父を説得して、病院へ連れて行ってしまいました。

まあ、お気の毒ですが、あの日から2か月、
父は病院で、大の苦手な集団生活を送っています。

あまりにも、気の毒ですし、気になるので、私は毎日のぞきに行っています。
リハビリに付き添って見学したり、
一緒にテレビを見たり、
そう、そう、日頃から、(若い時からそうだったけれど)家族とお喋りをする人ではなかったので、
こういう事態は、非常に困ります。
見舞いに行っても、ぼんやりと座って、
ときどき顔を覗き込んで「どう?」と、にっこり笑うくらいしか、ねえ、何もない。

で、先日、病院へ市役所の職員さんが来てくれて、介護認定の審査をしてくださいました。
おかげさまで、父の問題行動が「見える化」されて、要介護3を頂けました。
2年ほど前、私にも限界が来て「助けてください」と、SOSを発信したときは、
審査員さんには見えなかったのでしょうね、「自立」の判定だったんですよね。

ようやく、助けてもらえます。
ながかったな~~~、あ~~~、やれやれ。

物心ついた時から悩まされていた父の問題行動・・・
「どうして、ちゃんとやらないの?」と、母がいつも怒ってたよな。
私だって、同居までして助けてあげようと思ったくらいなんだけど、
その母だって、今思えば、けっこう大変なお人柄でしたわね。

放り出せず、放り出さずに今日まで来ちゃったけど、
あと、もうちょっと、頑張れそうだわ。
もう、大丈夫、「見える化」されたしね。

今の父は、やれないから、できないんだよね。
うふふ。よかったね。できなくてもイイんだよ(^^)。うふふふふ。

なにより、嬉しいのは、
私って、けっこう親思いの優しい人だったてこと(^o^)。
じつは、そうだったんだなあ。よかったわ。

さてと、今日もぼちぼち病院へ行って、テレビのスイッチをプチッとしてこよ。
14911045370.jpeg
あら、今日の3時は、ちょと困るなあ。野球かな?馬かな?ん~~、どっちかな?

ハロウィンねえ

Facebookを始めました。
お友達になってる人々が、地域活動で繋がってるってこともあるとは思うんだけど、
ハロウィンがらみのイベントへのお誘いが、やたら多い。

私も、昔は似たようなことやってたような気もする。
あのまま来てたら、今もやってたかもなあ。

みなさん、ごくろうさま。

わたしは、行くのやめとく。

胃カメラ飲みました

今日、胃カメラを飲んできました。
美味しいものではありませんが、めちゃくちゃ拒絶するほどでもなかったですよ。
看護士さんから、あらかじめ「よだれをタラタラ流して良い」と、言われたので、
とても気楽でした。

なぜ、胃カメラ?・・・と、言いますと、
そもそもは、1か月ほど前のことになりますが、
風邪気味だったので、こじらす前に薬を飲みたいと思って病院へ行きました。
7月末から8月いっぱい、児童館の放課後児童クラブ(学童保育)で働くことになったので、
「風邪なんか、ひいてられない」という感じだったのです。
病院へ行くのが早すぎたのかな?
よく分かりませんが、病院で出してもらった薬が効かなかったのです。

「この薬が効かないということは、風邪じゃあないですね」と、驚かされて、
血液検査、肺のCT、そして今日の胃カメラ・・・
と、いうメニューが用意されたってわけです。

血液検査で、腫瘍マーカーの数値が高めで、
まあ、乳がんをやっておきながら、今まで人間ドッグも受けずにきたので、
がんの転移を疑うのも当然ですわね。

児童館のお仕事は、楽しくて、やりがいもあったから、休まず行っちゃいました。
8月中旬以降は、市販の咳止めを飲んだり、トローチをなめたりしながらね。

胃カメラの結果は、異状なし。
ポリープは3つ見つかりましたが、悪いものではありませんでした。

ん~~~、で、この咳の原因は、いったい何?
てのは、よく分からないのですが。
医師に伺ったら「まあ、咳は多少残りますね」と、前に撮った肺のCTを見せてくれました。
咳に関しては、しばらく「様子見」ってことね。

50年来、酷使してきた肺や胃は、ちゃんと正常なことが分かることができ、
今回は、良い機会でした。
これからは、肺や胃には、50代にふさわしい優しい対応をしてあげたいと思ってます。

一方、この咳、勝手な自己診断としては、
家のホコリ、児童館で大声を出したこと、やらねばいけないことへの自責、家族への気遣いなどなど、
ようするに、たまったストレスが原因なんじゃないかな?
普段なら平気でいられるのに、免疫力が落ちてるから、症状として現れる。
体がSOSを出してんのよね。
そういえば、最近あそんでないもんなあ、ヤバい!

・・・で、
結局のところ、お医者さんは、疾患を診て、見えた部分を直してくれる技術屋さんかもね?
と、思いました。

だから、自分自身しか出来ないことは自分でするしかないわけ。
ランニングして免疫力を高めるとか、本を読んで豊かになるとかね。

この処方箋に気付くことができたのは、
私だけの力じゃなくってね、
私の話を聞いてくれる人、
私に話しかけてくれる人、

そうです。あなたが居て下さったからなのです。

おかげさまです。感謝してます。
ありがとうございます。

能力の共同性(共同体を考える7)

社会との関わり方について、伊原(2015)は
「私たちの生活は、市場原理など一元的な基準によって評価されるべきものではない。
会社で働き、家族との団欒を楽しみ、親しい人との交流を深め、
地域社会の活動に参加し、さらには‘無為に過ごす時間’を満喫するなど、
社会への関わり方は多面的であり、多元的である」と、述べている。
また、「消費―労働」からくるストレスに注目して伊原は、
「社会政策上の対策や地域社会での取り組みが必要だが、
一人ひとりが身の周りからできることもある。
消費―労働に追われた生活から半ば降り、
労働に関する「トラブル」に対処する方法を身につけ、
親しい仲間で経済的・精神的に支えあい、自分たちの中に「あそび」を作る。
自らが近辺の環境を変えることにより、
少しずつではあるが社会意識や社会構造は必ずかわっていくのである」
と、示唆している。

 広井(2009)が示したように
「市場経済の拡大ひいては資本主義の展開という流れが成熟ないし定常期に入り、
その飽和と共に『新しいコミュニティ』の創造ということが中心的な課題として現れ、
『関係性の組み換え』あるいは『独立した個人のつながり』の確立に向けて
様々な対応や具体的実践が行われていくことが求められている」のは事実であろう。
しかし、その実践は、成果主義や市場原理に変革をもたらすものではないだろう。
そして、「新しいコミュニティ」が、「格差」や「貧困」を直接に解決することはできないであろう。

 私たちは、時代の流れを受け入れ、発生している問題の背景にあるものを捉え、
理解して、自分の身に降りかかる問題は自分で対処するしかない。
ところが、それだけでは、孤独で虚しい毎日となってしまう。
そこで、「誰かに話したい」、「誰かに助けてもらいたい」、
「楽しくやり過ごしたい」などと感じた時、
あるいは「何をしたいわけではないけれど・・・」と思う時でさえも、
立ち寄れる場所があり、誰かが居てくれたら「ありがたい」ではないか。
年をとって、足腰が弱った時に立ち寄るためには、近所にそのような場所を作っておいた方が良いであろう。
近代社会は、資本主義経済のもと、能力を商品化して貨幣に替え、ニーズに対処してきた。
その延長上に「リスク社会」と呼ばれる現在がある。
自助努力では満たせない欠乏の発生や、公助の限界がみえてきた。
共助への期待が高まっている。
「能力の共同性」という考え方を重視して竹内(2007)は、
「個人にできないことがあるのは当然で、周囲に助けられる方が大事な場合もたくさんある」
と、言及している。
これからは「『能力の共同性』の認識」、
そして、「『能力の共同性』の認識からなる『コミュニティ』への関わり」が必要なのかも知れない。

参考文献
広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書
伊原亮司[2015]『私たちはどのように働かされるのか』 こぶし書房
竹内章郎[2007]双書 哲学塾『新自由主義の嘘』 岩波書店

「共同体」「新しいコミュニティ」(共同体を考える6)

「『無縁社会』という言葉が衝撃をもって受けとめられ、
東日本大震災の過酷な現実に直面して絆の大切さが見直されるなかで、
いま、コミュニティへの期待や関心があらためて高まっている。」と、山崎(2014)は言う。
 
 「コミュニティへの期待や関心」には、どのようなものがあるのかを見ていくことにする。
広井(2009)は、「農村型コミュニティと都市型コミュニティ」という視点から
人と人との「関係性」のありかたについて、次のように述べている
「都市化・産業化が進む以前の農村社会においては
‘生産コミュニティ’と‘生活コミュニティ’が、ほとんど一致していた。
すなわち、稲作等を中心とする‘共同体に一体化する個人’ともいうべき関係性があった。
やがて高度成長期を中心とする急速な都市化・産業化の時代において、
両者は急速に分離していくとともに、‘生産コミュニティ’としてのカイシャが
圧倒的な優位を占めるようになっていった。
ところが、経済が成熟化し急速な拡大・成長の時代が終わりつつあると同時に、
カイシャや家族という存在が多様化・流動化している現在、
こうした構造そのものが大きく変容する時代を迎えつつある。
ここにおいて、地域という‘生活コミュニティ’は回復しうるかという問いが
新たな装いのもとで浮上してきた。
日本における根本的な課題は
‘個人と個人がつながる’ような、‘都市型のコミュニティ’ないし関係性というものを
いかに作っていけるか、という点に集約される」。
 
 一方、広井(2009 )は、人間のベースにあるものを捉えて、
「『都市型コミュニティ』を支えているのは規範性・理念的なルールや原理であり、
それ自体において‘情緒的な基盤をもっていない’。
しかし人間という存在は少なくともそのベースに
情緒的あるいは感情的な次元をもっている生き物であるから、
何らかの形での『農村型コミュニティ』的なつながり、
つまり『共同体』的な一体意識をも必要としている」と、述べている。

 「『共同体』的な一体意識」とは、どのようなものであろうか。
「共同体」と呼ぶ条件について触れているものに内山(2010)の
『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』がある。
「共同体の中には強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。
明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。
その中身を問う必要はない。
ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。
それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。
だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。
群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう」
と、内山は述べている。

 これからのコミュニティ政策について山崎(2014)は、
「①コミュニティという目標を維持し、
②歴史的に積み上げられてきた地域自治の成果をふまえて、重層的に範域を設定し、
③地縁型組織とテーマ型組織の連携を促し、そして、以前からの欧米の実践も参考にしながら、
④コミュニティの制度化のあり方を問うことが求められる」とし、
地域自治という発想が定着していない現状に対して
「コミュニティの制度化を法に限定せず、より柔軟に考える必要があろう」
と言及している。

(参考文献)
広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書
内山 節[2010]『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』 (シリーズ 地域の再生) 農山漁村文化協会
山崎仁朗[2005]オスナブリュック市における近隣自治機構の再編 岐阜大学地域科学部研究報告第16 号
山崎仁朗編著[2014]『日本コミュニティ政策の検証:自治体内分権と地域自治へ向けて』 東信堂

プロフィール

うぃんく

Author:うぃんく
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