能力の共同性(共同体を考える7)

社会との関わり方について、伊原(2015)は
「私たちの生活は、市場原理など一元的な基準によって評価されるべきものではない。
会社で働き、家族との団欒を楽しみ、親しい人との交流を深め、
地域社会の活動に参加し、さらには‘無為に過ごす時間’を満喫するなど、
社会への関わり方は多面的であり、多元的である」と、述べている。
また、「消費―労働」からくるストレスに注目して伊原は、
「社会政策上の対策や地域社会での取り組みが必要だが、
一人ひとりが身の周りからできることもある。
消費―労働に追われた生活から半ば降り、
労働に関する「トラブル」に対処する方法を身につけ、
親しい仲間で経済的・精神的に支えあい、自分たちの中に「あそび」を作る。
自らが近辺の環境を変えることにより、
少しずつではあるが社会意識や社会構造は必ずかわっていくのである」
と、示唆している。

 広井(2009)が示したように
「市場経済の拡大ひいては資本主義の展開という流れが成熟ないし定常期に入り、
その飽和と共に『新しいコミュニティ』の創造ということが中心的な課題として現れ、
『関係性の組み換え』あるいは『独立した個人のつながり』の確立に向けて
様々な対応や具体的実践が行われていくことが求められている」のは事実であろう。
しかし、その実践は、成果主義や市場原理に変革をもたらすものではないだろう。
そして、「新しいコミュニティ」が、「格差」や「貧困」を直接に解決することはできないであろう。

 私たちは、時代の流れを受け入れ、発生している問題の背景にあるものを捉え、
理解して、自分の身に降りかかる問題は自分で対処するしかない。
ところが、それだけでは、孤独で虚しい毎日となってしまう。
そこで、「誰かに話したい」、「誰かに助けてもらいたい」、
「楽しくやり過ごしたい」などと感じた時、
あるいは「何をしたいわけではないけれど・・・」と思う時でさえも、
立ち寄れる場所があり、誰かが居てくれたら「ありがたい」ではないか。
年をとって、足腰が弱った時に立ち寄るためには、近所にそのような場所を作っておいた方が良いであろう。
近代社会は、資本主義経済のもと、能力を商品化して貨幣に替え、ニーズに対処してきた。
その延長上に「リスク社会」と呼ばれる現在がある。
自助努力では満たせない欠乏の発生や、公助の限界がみえてきた。
共助への期待が高まっている。
「能力の共同性」という考え方を重視して竹内(2007)は、
「個人にできないことがあるのは当然で、周囲に助けられる方が大事な場合もたくさんある」
と、言及している。
これからは「『能力の共同性』の認識」、
そして、「『能力の共同性』の認識からなる『コミュニティ』への関わり」が必要なのかも知れない。

参考文献
広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書
伊原亮司[2015]『私たちはどのように働かされるのか』 こぶし書房
竹内章郎[2007]双書 哲学塾『新自由主義の嘘』 岩波書店

「共同体」「新しいコミュニティ」(共同体を考える6)

「『無縁社会』という言葉が衝撃をもって受けとめられ、
東日本大震災の過酷な現実に直面して絆の大切さが見直されるなかで、
いま、コミュニティへの期待や関心があらためて高まっている。」と、山崎(2014)は言う。
 
 「コミュニティへの期待や関心」には、どのようなものがあるのかを見ていくことにする。
広井(2009)は、「農村型コミュニティと都市型コミュニティ」という視点から
人と人との「関係性」のありかたについて、次のように述べている
「都市化・産業化が進む以前の農村社会においては
‘生産コミュニティ’と‘生活コミュニティ’が、ほとんど一致していた。
すなわち、稲作等を中心とする‘共同体に一体化する個人’ともいうべき関係性があった。
やがて高度成長期を中心とする急速な都市化・産業化の時代において、
両者は急速に分離していくとともに、‘生産コミュニティ’としてのカイシャが
圧倒的な優位を占めるようになっていった。
ところが、経済が成熟化し急速な拡大・成長の時代が終わりつつあると同時に、
カイシャや家族という存在が多様化・流動化している現在、
こうした構造そのものが大きく変容する時代を迎えつつある。
ここにおいて、地域という‘生活コミュニティ’は回復しうるかという問いが
新たな装いのもとで浮上してきた。
日本における根本的な課題は
‘個人と個人がつながる’ような、‘都市型のコミュニティ’ないし関係性というものを
いかに作っていけるか、という点に集約される」。
 
 一方、広井(2009 )は、人間のベースにあるものを捉えて、
「『都市型コミュニティ』を支えているのは規範性・理念的なルールや原理であり、
それ自体において‘情緒的な基盤をもっていない’。
しかし人間という存在は少なくともそのベースに
情緒的あるいは感情的な次元をもっている生き物であるから、
何らかの形での『農村型コミュニティ』的なつながり、
つまり『共同体』的な一体意識をも必要としている」と、述べている。

 「『共同体』的な一体意識」とは、どのようなものであろうか。
「共同体」と呼ぶ条件について触れているものに内山(2010)の
『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』がある。
「共同体の中には強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。
明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。
その中身を問う必要はない。
ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。
それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。
だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。
群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう」
と、内山は述べている。

 これからのコミュニティ政策について山崎(2014)は、
「①コミュニティという目標を維持し、
②歴史的に積み上げられてきた地域自治の成果をふまえて、重層的に範域を設定し、
③地縁型組織とテーマ型組織の連携を促し、そして、以前からの欧米の実践も参考にしながら、
④コミュニティの制度化のあり方を問うことが求められる」とし、
地域自治という発想が定着していない現状に対して
「コミュニティの制度化を法に限定せず、より柔軟に考える必要があろう」
と言及している。

(参考文献)
広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書
内山 節[2010]『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』 (シリーズ 地域の再生) 農山漁村文化協会
山崎仁朗[2005]オスナブリュック市における近隣自治機構の再編 岐阜大学地域科学部研究報告第16 号
山崎仁朗編著[2014]『日本コミュニティ政策の検証:自治体内分権と地域自治へ向けて』 東信堂

現代社会(共同体を考える5)

 戦後の日本社会を「農村から都市への人口大移動の歴史」と捉えた広井(2009)は、
「農村から都市に移った人々はカイシャと核家族という‘都市の中の農村(ムラ)を作っていった。
カイシャや家族といったものが‘閉じた集団’になり、それを超えたつながりがきわめて希薄になっていった。
そしてさらに、そうしたムラ社会の単位が個人にまで縮小し、
人と人の孤立度が極限まで高まっているのが現在の日本社会ではないだろうか」と、分析している。
※広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書

 1970年代後半、オイルショックにより、先進諸国の産業構造は大きく変化した。
近代化によって達成された豊かさはリスク要因となり、
さまざまな問題が人間や社会に影響を与えた。
さらに、グローバリゼーションによる長期不況、長期失業。
少子化による現役世代の減少。
限られた予算で、福祉的救済の需要に対応することが、先進国に共通する課題となっている。
 
2000年代前後から、議論が活発化してきた「格差・貧困」の問題について新谷(2010)は、
「人々は『格差社会』が声高に叫ばれれば、それに対して個人的に対処しようとする。
そして、その意思と用いることのできる資源は、経済資本、文化資本などによって規定されている。
それゆえ、むしろ格差の拡大を導いてしまう可能性が高い」と捉えている。
※新谷周平[2010]『労働 : 若者の現在』第五章
『新しい「階級」文化への接続:「動物化」するわれわれは「社会」をつくっていけるのか?』 日本図書センター

 現代の日本社会における「うつ病」など精神疾患を患う労働者および失業者の増加について、
伊原(2015)は、「『ムダ』=『あそび』が社会から削り取られ、
先の見えない競争を強いられ、賃金や資産の格差が拡大し、
それらに起因する『ムリ』を押しつけられた部位の『弱さ』が表面化した現象の
一つとして認識すべき」であると述べている。
※伊原亮司[2015]『私たちはどのように働かされるのか』 こぶし書房

場における役割(「共同体」を考える4)

 私が、「コミュニティ」に「共同体」的なものを感じたのは、
2011年、東日本大震災直後の5月に被災地を訪れたときである。
気仙沼の高台にあるお寺が避難所の役割を果たしていた。
おそらく、住民らが津波から逃れて、お寺で寝泊まりをするようになったのが始まりであろう。
お寺の避難所は、住民のそれぞれが役割を担う形で運営がなされていた。
漬物をつくる高齢者や、体験談を語る高齢者、日曜大工をする若者、
さらに、皆の食事を作るグループ、境内で遊ぶ子どもらを見守るグループなど、
そこに住む一人ひとりに役割があった。ごみ処理については、順番を決めて皆が協力していた。
朝は、寝具を片付ける時間が定められていた。
ソトの機関とつながっている者もいて、生活に必要な物資は、ソトから届いていた。
お堂の片隅には、届けられた物資がよく見えるように陳列されていて
「ご自由にどうぞ」と張り紙がしてあり、
スナック菓子や、ジュース・お茶のペットボトル、日用品などが並んでいた。
お寺で暮らす人々は、ウチに向かう連帯感と、ソトとの接点を持っていたのである。
そして、住民らは、自ら作り上げたルールや仕組みを基盤にして共同で生活していたのだった。
 一方、行政が小学校に設置した避難所は、段ボールの壁で個人のスペースを仕切り、
そのスペースの中は、布団が敷きっぱなしにされていた。
昼間、何をすることもなく、住人の多くが横になっていた。
 どの避難所も、共通して言えることは、子どもたちは無邪気だったということである。
プロフィール

うぃんく

Author:うぃんく
・・・・・・・・・・・
こちらをご覧ください
 ↓
Wink Home 乳がん手帳

カテゴリ
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード