「共同体」「新しいコミュニティ」(共同体を考える6)

「『無縁社会』という言葉が衝撃をもって受けとめられ、
東日本大震災の過酷な現実に直面して絆の大切さが見直されるなかで、
いま、コミュニティへの期待や関心があらためて高まっている。」と、山崎(2014)は言う。
 
 「コミュニティへの期待や関心」には、どのようなものがあるのかを見ていくことにする。
広井(2009)は、「農村型コミュニティと都市型コミュニティ」という視点から
人と人との「関係性」のありかたについて、次のように述べている
「都市化・産業化が進む以前の農村社会においては
‘生産コミュニティ’と‘生活コミュニティ’が、ほとんど一致していた。
すなわち、稲作等を中心とする‘共同体に一体化する個人’ともいうべき関係性があった。
やがて高度成長期を中心とする急速な都市化・産業化の時代において、
両者は急速に分離していくとともに、‘生産コミュニティ’としてのカイシャが
圧倒的な優位を占めるようになっていった。
ところが、経済が成熟化し急速な拡大・成長の時代が終わりつつあると同時に、
カイシャや家族という存在が多様化・流動化している現在、
こうした構造そのものが大きく変容する時代を迎えつつある。
ここにおいて、地域という‘生活コミュニティ’は回復しうるかという問いが
新たな装いのもとで浮上してきた。
日本における根本的な課題は
‘個人と個人がつながる’ような、‘都市型のコミュニティ’ないし関係性というものを
いかに作っていけるか、という点に集約される」。
 
 一方、広井(2009 )は、人間のベースにあるものを捉えて、
「『都市型コミュニティ』を支えているのは規範性・理念的なルールや原理であり、
それ自体において‘情緒的な基盤をもっていない’。
しかし人間という存在は少なくともそのベースに
情緒的あるいは感情的な次元をもっている生き物であるから、
何らかの形での『農村型コミュニティ』的なつながり、
つまり『共同体』的な一体意識をも必要としている」と、述べている。

 「『共同体』的な一体意識」とは、どのようなものであろうか。
「共同体」と呼ぶ条件について触れているものに内山(2010)の
『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』がある。
「共同体の中には強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。
明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。
その中身を問う必要はない。
ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。
それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。
だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。
群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう」
と、内山は述べている。

 これからのコミュニティ政策について山崎(2014)は、
「①コミュニティという目標を維持し、
②歴史的に積み上げられてきた地域自治の成果をふまえて、重層的に範域を設定し、
③地縁型組織とテーマ型組織の連携を促し、そして、以前からの欧米の実践も参考にしながら、
④コミュニティの制度化のあり方を問うことが求められる」とし、
地域自治という発想が定着していない現状に対して
「コミュニティの制度化を法に限定せず、より柔軟に考える必要があろう」
と言及している。

(参考文献)
広井良典[2013]『コミュニティを問いなおす : つながり・都市・日本社会の未来』 ちくま新書
内山 節[2010]『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』 (シリーズ 地域の再生) 農山漁村文化協会
山崎仁朗[2005]オスナブリュック市における近隣自治機構の再編 岐阜大学地域科学部研究報告第16 号
山崎仁朗編著[2014]『日本コミュニティ政策の検証:自治体内分権と地域自治へ向けて』 東信堂

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