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在宅介護もうすぐ2年

2017年2月に脳梗塞で入院した父が退院したのが同年6月6日。
「退院後は施設」という選択もあったなか「まずは在宅でやってみる」と決めて、ケアプランを立ててもらった。
自宅に介護部屋を用意し、デイサービスを使い始め、あれから2年。

ここまでの2年は無難に過ぎたと思う。
逆に、「要介護3」の認定によって、福祉の助けを得られ、精神的・身体的な苦悩は軽減されたと言える。

「介護」について一般に言われる「終わりが見えない」「やり甲斐がない」というのは、確かにそうだと思う。
「高齢者の介護」は、頑張ったところで、本人が回復に向かうことはない。
そして、本人からの感謝は期待できない。
本人は、自分のことで精一杯であろうし、自分自身を把握できてないから仕方ない。
(彼は、もともとそ~ゆ~ヒトだったから、今更でもない)

救いは「何事も永遠ではない」ということだ。
たとえば私が倒れたとしても終わる。
だから、どのような形で終えるかは分からないが、いつかは終わるから心配いらない。

「いまをどう過ごすか?」
焦点はそこ。

車イスに座っている間は見守りが必要だから、出掛けられない。
トイレに行けばケツを拭いてやらないかん。
予告なしに、くしゃみのシャワーを浴びせられる。
夜間のオムツ…

この状況に合わせて無理をせず、この状況だからこそできることは何?
(負けず嫌いな私は、そのような思考回路になっている)

私は、ようやく社会で試せるトコロまで来てたかもしれないけれど、
「どうせ、年をとったら出来なくなるから、ま~いっか~」と、あきらめる。
高齢になって思うように動けなくなったときの対処を練習していると思って、やり過ごすことにする。 

人間て、うまくできている。
「できない」が2年も続くと「やりたくない」に変わるんだ。
「出掛けることができない」「責任あることは引き受けられない」のはずだったのが、
今は「出掛けたくない」「引き受けたくない」というのが本音である。
そんな具合で、結局のところ「なにもやりたくない」。

あんがい私は「あきらめ上手」な「生き上手」か?
それとも、介護疲れの危険信号か?

どちらにしても問題は、「できる時期」が来るまでに、気力・体力(パワー)をどう養っておくか?ということ。

さて、無理なことを早々と悟って諦めた私のようなヒトに「学習性無力感」は表れるのだろうか?
興味深い課題である。

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